(20190627 レコメン)

淳太くんはディベート型だなーと思う(たしか授業でよくやってたと言っていたよね)。まず結論。それからその結論に至った理由や根拠、自分の意見。芯の部分としていちばん強いの結論だろうから、そこだけ切り取るとインパクトが強すぎるようにみえかねない。

それからあたまの回転がはやいから、論理も一段飛ばしになりがちだなと思ってる。噛み砕くとそこに至るにどういう道筋を辿ったかわかるものの、話題の飛び具合が唐突になる。

あと、そもそもディベートは他者と意見を交換し合うことで、テーマへの関心を強めたり、他者および自身を見つめるものだと思っているので、単独で行うには向かないよね。

 

 

 

 

個人的に、概念としての男女の違いをなくそうという文化がある一方で、身体的な構造による男女差というものは埋まらないものだと思ってる。後者は違いが明確だからこそ、お互いに相手を認めて尊重し合える文化を醸造したいよね、と続けたいひとです。


レディースデーについては前者。この制度の恩恵を受けてきた身ではあるものの、男性側から不満が出るのは自然な流れだと思うし、制度そのものをなくせばいいと思う(実際に、わたしがよくいく映画館はレディースデーの制度がなくなった)。

体力測定は、そもそも、「同じ条件に」と言っているものの、評価基準値まで同じにしろとはいっていないんですよね。おそらく今は男女で測定条件の違いはなさそうですが、昔はあったんですよ。持久走の距離が男子1500、女子1000とか。条件を等しくすることで身体的な特徴による男女差が明確になる。概念の部分は平等にすることはできるけれども、身体構造でどうにもならない部分があるということを理解する機会になると思う。


広く「男女平等」というけれども、これ、できる部分とできない部分があると思うんだ。なのにジェンダー論を含めて全部一緒にするから、ほころびや矛盾が際立つ。平等を求めるよりも、個々に差異があることを認められようになればいいのにな。