ひとの歩んできた道のはなし

ファンとしてのわたしが感じている「中間淳太」ではなく、もっと外部から見た(ことを想定する)「イメージとしての中間淳太」は、漫画やゲームにあまり関心がなさそうなんだけど、実際はワンピ好きだし、その昔家に来た濱田さんと(家で)なにしてたのかと訊かれて「ゲーム」と答えるくらいには、漫画もゲームも嗜む人なんだよなと、この間のラジオの「作画が変わる」発言や、24コンのMCを聞きながら思っていた。

そういうところ、イメージとは対照的に、その年代の男の子が通ってきたことを経験しているところ、そこらにいる30前後の男の人っぽい部分を持ち合わせているところが垣間見えると、人間らしさを感じる。

うえすとさんたちって、自らを「そこらにいる兄ちゃんたち」と形容するけれども、パフォーマンス等々で「いやそこらにいないから!」と強く思う反面、人としての軌跡には、身近にいそうな要素が散りばめられていると感じる。人間くさいというか、近しい感じはこういうところから出るのかな。虚構としてのアイコンとしてのアイドルよりも、もっと人に近いところが見えて、いいなあって思う。