夏と夏と秋の記憶

溺れるナイフ』、発売おめでとうございます。ということで、いつか引っ張ってこようと思っていた、映画が公開された頃の感想を持ってきてみる。ざざっと推敲したものの、もうそのまま載せます。そういえばこれを書いた頃に、谷崎の陰影礼賛を読んでいたな、というのを、衣装の下りで思い出した(我ながらわりとうまいことを言っていたので)。

 

 

溺れるナイフ 感想

 

どなたの言葉だったか今となっては分からなくなってしまったんだけど、TLで、この映画は響く人には共鳴するけど、そうでもない層もいるだろう、というようなことをおっしゃっていたのを目にしていて、事前にそうだろうと思っていたけど、案の定私は後者でした。という前振り付き。

 

 

邦画のこういうものの経験値が少なすぎて、共鳴の仕方を知らずに生きてきたので、逆に、完全に一歩引いた立ち位置から観られた。すごいものを観たんだろう、と言葉では理解できるものの、体感できないやつ。でも、これはこれでフラットに近い状態で観られたので、結果としてはありだったな。

 

原作も途中までしか読んでいなくて、パンフも読んでいない(買い忘れた)ので、どこかに種明かしがあるだろうことを、さらっと半端に書いていくと、面に関する台詞から火祭りのシーンでコウちゃんが面を外したことや、最後のカットで夏芽とコウは同じ場所にいながらもまったく違う方向に顔を向けていること(光が当たる(光に向かう)夏芽と、光から顔を背けるコウの対比)とか、中途半端に原作の最初のあたりだけ知っていたからこそ、ああこういうところに着地した(これ、「落ち着いた」って最初に打ったんだけど、打ち直した)んだなあって思ってた。これがあるべき場所だったんだろうなと。なので、一貫して第3者(なにも知らない者)として、自分の見たもののみをレンズ越しに捉えて判断していた広能の言葉は、作品全体の中でぶれずにずっとそこにあって、すべてのようにも思えた。

 

大友のこと。重岡のこと。大友という役の評判と、アイドルとしての重岡(が表に見せているもの)の両方について、先入観がある状態で観ていたから、余計にそう思ったのかもしれないけれど、大友は指先の些細な動きが重岡で、たまに語尾がふわっとするのも中のひとの癖が出ていて、だから、外側の大友という役の部分と、内側の重岡から出てくる部分がシームレスだったように感じた。(自分の感想をある程度まとめた上で他の方の感想を読んだら、「生々しい」と形容している方がいて、それだ!って思った。ものすごくしっくりきた。役として大友には生々しさがあった。)ただその一方で、よく考えた大友の指の動きは、一般的に言われる緊張しているときの手の仕草に近くて、あれは夏芽と2人でいるときの大友の心境を、演技として重岡が演じていたのであれば目を見張るものだし、でも素(アイドル)のときの重岡もそういう手の動きをするよね??と思うと、重岡というひとがすこし見えてくるようでますます分からなくなる。深い。

大友は高校生だったけど、重岡が年相応の役としてこういう役を演じるところが見たいなあ。高校生役だからこそできる表現があるのなら、その逆で、社会人役だからこそできる表現もあるはず。連ドラ5話くらいで葛藤するやつ(番手によっては7話でも)なので地上波で演技のお仕事をどうか!お願いします!!

あとは、わたしの見落としかもしれないけど、中学生の最初の頃、まだ夏芽とコウがお互いにぐっと踏み込む前を除いて、「夏芽とコウと大友」の3人が揃ったシーンってなかったなぁって思ってた。カナちゃんとか広能は「夏芽とコウ」と一緒になるところがあった。(広能は直接2人でいた場所にいたわけじゃないけど、夏芽はその場所から去ったコウちゃんのことしか見えてなかったからカウント。あと広能は「夏芽と大友」の現場にも居合わせてるか)でも、大友は基本的に夏芽絡みかコウちゃんとかなんだよーー。もう、そういう役柄だとはいえ、夏芽のことしか見えてないし、夏芽といるときに見せる顔はその他の女子ともまったく違う。あぁ好きなんだな、すごく純粋に、大友は大友として夏芽のことを愛してるんだなってすごく思った。大友には献身というフレーズをあてがいたくなった。(登場人物紹介とかでよくあるやつ)


でも、大友のTシャツのチョイスはどうかと思うよ!!あの紫のクマさ!!歌も強烈だけどクマが気になって気になってさ…!


キスシーンはくるぞくるぞとそわそわしながら観てたんだけど、普段は「歯が多い!」と揶揄される重岡が「眉毛!」といじられていて、でも眉毛だって重岡の特徴のひとつだし、「も~~!!」ってなってるのが重岡で、だからこそ、重岡がキスシーンを演じるというフィルターがかかってたかもしれない。でもあのやりとりがすごくかわいかったんだよ~~。全体的に重い映画の中で、ふわっとこちらの緊張をほぐしてくれて、それでさらっと持っていくやつ…。あああああ…!言葉にならない。いかにもキスシーンです!!っていうキスシーンじゃなくて、さらっとしたやりとりのなかでキスシーンを持ってくる(でもペディキュアのこととか、割と夏芽の心情としては揺らいでいる意味のあるシーンだったと思ってる)の、不意打ちにおたくは弱いんだよ…。さらっとしてるようで、実はそれなりの時間をかけて撮影したシーンらしいので、ものすごく綿密に計算してあるんだなーと思ってた。

 

椿の落ち方が気になっていたけれども、あれはラストと呼応して、「地面に落ちた赤い花びら」として捉えたら、なにかの符合になっているのかなあなんて。いやでも赤は大友の色だしな…。直前の衣装の色を踏襲しているものの、2人が着ているのが白でも光を反射する西洋的な白ではなく、なにもかも吸収するオフホワイトというところに意味があるような気がする。赤や黄色の花は携えているだけで、落ちていくことを意に介していないのとかも、色にも全部意味を持たせている気がする(赤は大友、黄色はカナちゃん?とか考える)。ああこのあたり、日ごろから「考える」ことをしていないのが如実に出る。もうちょっと自分の意見を煮詰めたい。

 

菅田くん。中学生のときの無敵のコウちゃんの姿はほんとうに神様みたいだった。わけがわからない、特別な存在だった。現人神、という表現が似合うようなひとだった。菅田くんは中学生を演じるにあたってとりあえず体重を落とした・何も食べなかったと共演者から心配されていたけれども、そういう磨いだナイフみたいなたたずまいが、人になる前のコウちゃんの特別感をより強くかもし出していて、ああこのひとはすごいなあと思っていた。あのちょっと近寄りがたい感じがあるからこそ、事件でそんなコウちゃんが瓦解する姿は、印象的だったし、火祭りのシーンへとつながっていくんだろうなあ。最後のシーンで笑っていてよかった。

 


長くなってきたのでいきなり終わるけど、2015年の夏から1年以上たってようやく公開までたどり着いた。長かったなぁ。公開おめでとうございます。